導入事例


株式会社 鈴木印刷所

  • 導入製品
    ・紙折機 AFC-566FKT+PST-40 ・丁合機:AC-60, MC-160 ・鞍掛け中綴じ製本システム StitchLiner6000 ・無線綴機 BQ-470 ・ミシン機 VP-53

東日本大震災の津波被害を乗り越え、第二の創業へ突き進む

 株式会社鈴木印刷所様の歩みは災害との戦いといえるかもしれません。現社長のご祖父様の鈴木定一氏が、東京・小石川の共同印刷に勤務中、関東大震災で被災されました。それを機に故郷に帰られ、1926年、石巻市日和山にて印刷業として起業されたのが、鈴木印刷所様の始まりと聞いています。その後、東京時代に修得された高度な印刷技術をもとに順調に操業されていましたが、現会長の鈴木新一郎氏が社長であった1960年には、チリ地震の津波が石巻にも押し寄せ、当時の工場の一部が被災されたそうです。その困難を乗り越えて、東京オリンピックが開催された1964年に現在本社工場のある石巻市蛇田へ移転されました。そして2011年3月11日に発生した大地震と巨大津波により工場は被災し、操業停止に追い込まれました。震災によって、本当に残念なことに従業員様と、そのご家族にも犠牲者がでてしまいました。鈴木印刷所様は度重なる災害にも、その度に立ち上がり、前を見据えて歩んでおられます。

復興にかける思い

 東日本大震災で被災後、鈴木社長始め、全社員一丸となった懸命の復旧作業により、2か月後には、業務を再開され現在に至っておられます。震災当時、最初に工場内を拝見した時は、電気がまだきていない状態でしたが、床のヘドロはすでに除去されており、紙類も工場外にひと塊りにまとめてありました。自宅が被災され、食料がない中でも、従業員の方々は会社に出勤され、工場内の清掃から始められたようです。弊社の機械を見ると、津波の跡がくっきりと残っており、深いところでは高さ90センチ近くに跡が残っていたと記憶しています。その時、 鈴木社長は「ホリゾンさんにすべて一任するので、ともかくなんとか復旧してほしい」とおっしゃって、その必死のコメントに圧倒される思いでした。震災後、事業継続計画書(BCP活動)が策定される等の活動が企業の中で盛んになりましたが、一番は何と言っても『トップの復興にかける 決意・熱意である』と今更ながら感じています。

同社の工場の前には国道が走り、その先には北上川からの運河が流れています。震災時には、そこを津波がのぼってきて浸水してしまいました。そこで同社は水害対策として、震災から半年後には工場をぐるりと囲む防水壁と、正門からの水の浸入を防ぐ防水扉を設置されました。その後の台風による増水にも事なきを得ています。震災から2年以上が経過しましたが、石巻市内の復興はまだまだで、ようやく今秋から防潮堤の工事・道路の嵩上げ等が本格的に始まる予定です。

いま、印刷にできること

 同社は総合印刷会社として、カラー印刷によるポスター・パンフレットから名刺・封筒・伝票などはもとより、デジタルサイネージ・E-Bookの製作まで、大変幅広く事業展開されています。震災後に、印刷業は街の復興に欠かせない大きな役割を担っているとあらためて再認識させられた次第です。同社も「石巻の復興のために、『いま、印刷 にできること』を追求して印刷業務を通じて少しでも力になりたい」と語っておられます。同社と弊社のお付き合いは27年前に伝票丁合機を導入していただいたことから始まります。その後、無線綴機・中綴機等を導入いただいていますが、使用する上で気をつけることなどは写真付きでわかりやすく、機械に貼りつけてあります。このような小さなことの積み重ねが企業体質を強くすることに役立っているように思います。石巻市内の会社は、震災前の約60%以上が復興できていないと言われています。復興が進まず印刷需要もまだまだ厳しいものがあると思われますが、鈴木印刷所様の団結力で、この困難を乗り切られ、より発展されることをお祈りいたします。